息子は、あるハンデがあり、自宅から通える大学に受かるまで、三浪ぐらいまでは頑張れ、と伝えていました。
ところが、いくつか受験する中で、本人はあっさりと、
スープが冷めて固まるぐらいの距離の大学への進学を決めてしまいました。
保護者としては、「通学の継続が難しいだろう」と、納得がいかなかったものの、
今は成人年齢になる1人の大人が決めたことを尊重することにしました。
子どもは親の所有物じゃないですからね。
上手くいかなければ、その時に考えましょう。
冗談ではなく、高校三年間は、主要科目は一桁や10点台のテスト結果ばかりでした。
高校生は年明けはほとんと授業が無いのですが、息子は受験科目ではない科目の補講を2月も続けていて、一浪は確実だろうと思っていました。
進学先は狭き門ではないかもしれませんが、その努力も認めるべきかなと。
今、インクルーシブ教育として専門担当課がある大学も見られます。
進学先も存在し、本日は担当教員さんとの面談を今時のインターネットで行いました。
親が見れない以上は、学校や担当教員さんに頼るしかありません。
学ぶことって、ある意味贅沢なことですよね。
大前提として平和があり、更に学校というインフラ、教職という人材、通わせるためのお金が必要です。
数億円単位のお金が入ったらどうする?という妄想は、皆さんもよくしたかもしれませんが、
私だったら、仕事をしないで(大学で)学ぶって妄想しますもの。
就職のためとか、仕事に活かすためとか、落第しないようにとか、ではなく、ただ単に世の中の真理や歴史や人や自然について知りたいってだけ。
議員なんだから、そこは世直しにお金を使いたいじゃねーのか?はご容赦ください(笑)