2018年09月26日

生活保護制度(*受給者の批判投稿ではございません)

まにわ充裕です。

批判も、援護も多いこの制度。

申請制のため、受給資格があるにも関わらず受給していない人が多いと言われています。

批判の理由の主なものは、

国民年金満額受給よりも、生活保護受給の方が可処分所得が多いからと言われます。

地方か都市かによっても年金額は異なりますが、ほぼ国民年金受給額と同様の保護額の住居地だとしても、

家賃補助や医療・介護費用の支出により、結果的に現金が残るからです。

私は生活相談を受ける身ではありますが「適応かどうかわかりませんが、生活保護申請しましょう。」などと、積極的に申請を進めたりはしません。

それは、この制度を大事に考えているからです。

私を含め、誰しもが、明日のわが身はわかりません。

命を落とす事も、病気になる事も、仕事が無くなる事も、あり得ます。

そして、その後の本人や家族の再チャレンジにも関わらず、生活が困窮する事もあります。

その時の制度。ふるさと寄付金やプレミアム商品券のように、「もらえるものはもらっとけ」の感覚で申請をしまくるというものでは無いものと思っています。

どんな状況になったとしても、保護費を受給出来るのは、世界中の全ての国にある制度ではない、事は誇れる事と思います。

ただ一方、受給資格があっても保護を受けない(受けたくない、知らない、色々あると思います)方が保護を受けている方の倍は存在するとも言われています。

全ての受給資格者が保護を受けたとしたらどうなるでしょう。

各種年金の掛け金は何割増しになるのか?

受給する年金額はもっともっと低下するのか?

消費税も更に増税しなくてはなのか?

社会保障費の設計が(そもそも、現行のままでも医療・介護・年金全てが相当危うい)、相当に狂ってしまうと思います。

言い方は悪いかもしれませんが、保護を受けないという誰かの善意で現実的に成り立っている社会保障制度とも言えるのです。

それはもう変えなければならない制度だと思います。

健康で、文化的な最低限度の生活とはどういったものか。

我々は社会保障の負担と受益の関係をどのように考えていくべきか。

生活保護行政だけではなく、医療・介護・年金という社会保障分野がどうあるべきかを考えていきたいです。

小泉代議士は批判が著しく大きい社会保障改革を真剣に考えていると思っていたのですが、

石破氏応援の批判に耐えられない方が、社会保障改革の批判に耐えられる気がしません。

生活困窮者の方の相談を受けると、いつも色んな事を考えてしまいます。

一人の支援も出来ない人間が、多くの人を支援出来るはずがない。

のですが、多くの人の支援を考えない人間は、一人の支援も出来なくなるのではないかと思うのです。

美原記念病院に勤めている時に、院長先生に言われた事を思い出します。

「目の前の患者さんが大事ならば、病院がつぶれるという事は最も迷惑をかけてしまう行為である事を知りなさい」と。

*美原記念病院は安定的に経営している病院です。これは、患者さんの治療ばかりを考えて、経営をあまり考えない私(当時、部門の管理者をしていました)に対して院長が述べた言葉です。
posted by まにわ at 14:11| 群馬 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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